ストレスで腸に穴が開き、入院は2週間になりました。
起きている時はどうしてこんな事になったのかと思い悩み、眠りについても悪夢にうなされ、浅い眠りで何度も目が覚めました。
情けないことに、患者さんに追いかけられる夢を何度も見ました。
体重は、2週間で10kg減りました。
生きていることが、つまらなく感じていました。
食事ができないため、朝、昼、晩の食事の時間の約3時間が、暇で暇で辛かったです。
1日24時間が、異様に長く、食事をしないので時間感覚が狂いました。
1日3食ずっと点滴でしたが、退院の3日前に初めて3分がゆを食べました。
薄味で、何も入っていない汁物にかすかにお米らしき浮遊物がありました。
久しぶりに口から食べる食事は、めちゃめちゃ美味しかったです。
口から食べれるってすごいなーと少し明るい気持ちになりました。
そしてそれに関わる仕事をしている歯医者という仕事は、大切なやりがいのある仕事だな改めて思いました。
退院するその日は、外を歩ける嬉しさと、フワフワする身体、そして従業員とどんな顔をして会えばいいのかと憂鬱でした。
診療開始の朝、診療所に行くと従業員が全員で謝ってきました。
その場では、仕方ないよ、これから頑張ろうと言いましたが、何が仕方ないのかわかりませんでした。
まだ気持ちの整理がついていない状態で、頭の中はパニック状態でした。
実際、診療を始めると1時間おきに吐き気を感じ、何度もトイレに行きました。
心が限界でした。
このままだと、また穴があく。
なんとかしなければ、、、
給料日の日に従業員と話し合いました。
就業の放棄という言葉で、説明し、退職をうながしました。
その瞬間、3人の常勤は変貌しました。
“忙しすぎて、ストレスが溜まりました、先生のせいです!“
“先生のことなんて、誰も好きじゃない!“
“人間だから少しくらい失敗すると思います!“
“本当は子供は泣くとうるさいので嫌いでした。それでも我慢していたのに!“
最後に“私達がいないと明日から困りますよ、考え直してください、気をつけますから!“と言われ、
頭が真っ白になりました。
私は絞り出すように話しました。
“全ての原因は自分にある。本当に今までありがとう。申し訳ないけど、心も身体もどうしても君たちと働けないと言っているんだ。患者さんには迷惑かけるけど、しょうがない。明日からしばらく一人でやるよ。予告手当金も出すからもう勘弁して欲しい。“
3人はわかりましたと言って立ち上がり、“死ねばよかったのに!“と捨て台詞を残して、バタンとドアを閉めて去って行きました。
やっと言えた。
放心状態で、横になり、しばらく天井を見つめていました。
涙は出ませんでした。
5分くらいして、電話が鳴り、受話器を取ると怒鳴り声が。
玉手箱開けたら 第4話に続く