底まで落ちて、たどり着いた一つの答え。
“自分だ、自分を変えないと“
大嫌いな自分、自信もない。どうすれば?
そこからいろんな本を読みあさり、考えました。
自分を見つめるための本、みとめる本、あり方の本、読めば読むほど
自分のことを全く知らないということがわかりました。
何が好きで、何が嫌いか?
価値観は何か?
どんな人生を送りたいか?
お金はどのくらい必要か?
何をしている時が、楽しいか?
たくさんの問いを立て、自分に尋ねました。
子供の頃からさかのぼって、考えたりもしました。
わがままで、泣き虫で、じっとしてられなくて、甘いものが大好きで、母が大好きだった。
もし、自分が自分の子供だったら、やだなぁとか思ったりしました。
そんな時、“長女のことはどのくらい知ってるのかな?“という思いが湧いてきました。
彼女のことが知りたい。
でも、話してくれない。
どうする?
その頃、長女は起きている時は、ずっと本を読んでいました。現実逃避です。
“どんな本を読んでいるんだろう?“
『クビキリリサイクル 西尾維新 』
これです。
なんて題名だ。
これは無理か。
でも読んでみよう。
読んでみると、見た目と違って読みやすく、意外と面白かったので、
本を返すときに“面白かったよ“と声をかけると、
“どこが?“と久しぶりに長女の声が聞けました。
返事が返ってきてので、びっくりしながら、主人公や登場人物の話をすると、
“私はね、、、、“ とすごい勢いで話出しました。
ひとしきり話した後、笑顔で続編を8冊渡されました。
『クビシメロマンチスト』
『クビツリハイスクール』
『サイコロジカル上・下』
『ヒトクイマジカル』
『ネコソギラジカル上・中・下』
全て読み、感想を話し合いました。
気がつくと2.3時間経っていました。
目の前には、小さい頃に夢中で遊んでいた時の表情をした長女がいます。
“ ああ、忘れていたな、この顔が見たかったんだなぁ、
学校行かなくても、こんな顔で毎日過ごしてくれたら、それでいいなぁ“
そんなことを考えていると、パパの読んでいる本も読んでみたいと言われました。
その後は毎日、本の話をするようになりました。
家族でトランプをしたり、人生ゲームやモノポリーなどのボードゲームをして遊びました。
ある日、本の話をしていると、学校に行けなくなった経緯をポツリポツリと話し出しました。
当時の心境を聴いて、私は号泣しました。
なんて自分は馬鹿だったんだと。
なんであの時聴いてあげられなかったのかと。
一つでは無かった。
たくさんの事が重なって、彼女は動けなくなってしまった。
その動けない彼女を私と妻は、無理矢理動かそうとした。
上から乗っかって、押し潰していた。
“本当に辛かったね、パパ、ごめんな、謝るよ“
やっとの思いでそういうと、抱きしめました。
抱きしめられた長女は、苦しそうに小さな声で耳元で言いました。
“今からでも高校受験できるかな?妹と同じ学校に行けるかな?
パパと一緒に働けるかな?衛生士さんになれるかな?“
私は答えました。
“もちろん、大丈夫だよ“
中学1年の5月から2年が経っていました。
不幸の玉手箱 第11話に続く