玉手箱あけたら 第1話

これから連載する予定の玉手箱あけたら。

これは、私自身の話です。

10年以上前の出来事です。

最初はブログに載せるか悩みました。

過去を掘り下げることに意味があるのか?家族に迷惑がかからないか?

でも、今、現在の自分があるのは間違いなくあの時があったからです。

今の自分の人生に大きな影響を与えています。

もう一度振り返りながら、過去の自分と向き合おうと思いました。

また、今、生きてて悩んでいる人、登校拒否や家族の病気や人間関係など

何かヒントになれば嬉しいです。

私は、昔、不幸の玉手箱というアダ名で呼ばれていました。

皆んなからは、たまちゃんと呼ばれていました。

不幸の玉手箱から来ています。

このアダ名をつけてくれた諸井先生との出会いが、私の人生を大きく変えました。

とあるセミナーに参加した時のこと、自己紹介の後、彦摩呂風に言われました。

“先生、なんか話聞いてたら、まるで不幸の玉手箱や〜、って感じですね“

この一言で、たまちゃんというアダ名に決定した。

正直言って、私はこのアダ名が嬉しかった。

今までの自分ではなく、新しい自分になれる気がしていた。

このセミナーは、CHP研究会のベーシックコースと言うもので、CHPとはクリニカルヘルスプロモーション

の略で基本的に歯科関係の人の集まりです。

しかし、基本的に自分の力で健康を促進する手助けをするために学び、研究し、向上していくことを

目指す集団です。

通常は、自分の診療所や病院をよりよくするために学ぶ場であるセミナーですが、

自分場合は諸井先生のコミニケーション能力、いわゆる話す力、喋る力、巻き込む力が欲しいと思いました。

失礼ながら、初めての自己紹介で、諸井節を盗みに来ましたと発言しました。

本当に失礼。

今となっては、恥ずかしい限りですが、当時の自分は結構真剣でした。

なんとかコミニュケーション能力を高めて、不登校である長女を学校に行かせたかったからです。

話が前後しますが、不幸の玉手箱のメインは、長女の不登校、妻の病気、自分の病気、母の死の4本立てです。

そんな不幸話、聞きたくないよという方は、静かにブログを閉じてください。

さて、それでは始めます。

まずは経歴から。

平成元年、昭和大学小児歯科学講座に入局。

10年間大学の医局で過ごし、そこで衛生士の妻と出会いました。

大学病院では、4年間大学院へ行き、博士号を取得、その後6年間助手として働きました。

臨床、研究、教育と3本柱で特に臨床は1日5人のゆったりした診療でした。

学生を教えることも楽しく、人気のない小児歯科に何とか男子学生を入居させたいと、

小児歯科の面白さを熱く語り、ほとんど毎日飲みに行きました。

仕事の上では、人生で最も充実して楽しかった10年でした。

しかし、飽きてしましました。

効率よく仕事をすると同じことの繰り返しになります。

いつの間にか退屈に感じるようになりました。

そこで開業を決意しました。

平成11年12月千葉県松戸市で開業。

東京の下町生まれの私には、縁もゆかりもない場所です。

たまたま友人と年末にドライブに出かけ、街並みが気に入り、たまたま入った不動産屋で

“歯医者に売るときはない!“ と怒鳴られたのがきっかけでした。

開業するのが難しい土地ということは、いい場所なのではと解釈しました。

その後、少し離れた不動産屋から地主を紹介してもらい、開業することができました。

いよいよゆっくり自分の思う通りの治療ができると喜んでいたのも最初の半年ほどで、

いよいよ不幸の玉手箱が開いてきます。

第2話に続く

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