しかし、中学1年の夏からの不登校は、受験をするにはあまりにも困難でした。
11月から2月までの間の4ヶ月間で、中学三年間の勉強を取り戻さなければなりません。
私は仕事を休んで毎日一緒に勉強することにしました。
今でこそ、もう少しうまい時間の使い方ができるかも知れませんが、当時はなりふり構わず、
とにかく全力で関わらなければとの思いでした。
いろんな人に迷惑をかけるのは承知の上で、診療所が潰れても仕方ないという覚悟でした。
具体的には、家庭教師のトライを使って、一日6時間、3人の先生に教えてもらいました。
ビデオで受けられるシステムのある塾にも通わせました。
馬鹿みたいにお金がかかったので、車は売りました。
マンションも売りに出しましたが、ギリギリのところで売らずに済みました。
2月10日、受験。
次の日には先生からおめでとうございますと連絡がありました。
なんとかなったと一安心しました。
これで不登校がなおり、幸せな高校生活を過ごしました、、、、
とはならず、高校1年の夏休み明け、2学期に入ると再び不登校は始まりました。
ショックでした。
9月には妻が救急車で運ばれ、再びどん底感を味わいました。
なぜ同じことが繰り返されるのか?
どうしてこんな事ばかり起こるのか?
悩み続けました。
そんな時、新たな事件が起きました。
妻が入院した病院の待合室にいた時、長女からメールが届きました。
玉手箱開けたら13話に続く