自己紹介 保育園、小学校編

ブログを立ち上げて、数ヶ月経ちました。

まだまだどうしていいかわからない状態が続いています。

自己紹介の載せ方もいまだにわからないレベル。

何故なら、ワードプレスという自分でブログを立ち上げるソフトが、英語版だからです。

本当は、アメブロとかの無料ソフトで作れば、もう少し使い勝手が良かったのかも知れません。

しかし、自分は10年後も書き続けたいと思っています。

なので、無くならないようにするためには、あえてチャレンジしています。

そこで、遅ればせながら自己紹介です。

自分は、2月19日生まれの57歳の男です。

東京都墨田区京島で生まれ、下町で育ちました。

実家は、村上莫大小というセーターを作る会社、および工場を経営していました。

そこで自分は、普通のサラリーマン家庭とは全く違う生活をしていました。

今では古民家となっている実家は、工場と繋がっていて生活の空間と仕事場が一体化していました。

そこでは、中学を出たばかりの職人さん達がたくさん働いていました。

寮のようなおしゃれな感じではなく、工場の一部や庭にはなれのような建物があり、

7、8人のお兄さん達が泊まり込みで働いていました。

さらに、花嫁修行中のお姉さんたちもいて、かなり大人数でした。

従兄弟もたくさんいて、中で1番年下だったので、弟分として可愛がってもらいました。

周りにたくさんの人がいるのが、当たり前だったので、いつも人の中に埋没している感があって、

でも居心地は良かったと思います。

仕事が忙しい繁忙期は、母も仕事に家事に忙しく、よく親戚や田舎の祖父母のところに

預けられていました。

淡路島、大阪、伊豆下田、箱根。

気がつくと母がいないので、よく泣いていました。

なので、家にいる時は、一日中母を追いかけていた気がします。

仕事場で遊んでいました。

迷惑をかけるので、よく従兄弟が遊び相手をしてくれて、勉強の邪魔にならないようにと

保育園の頃から読み書きや計算を遊びながら教えてもらったので、絵本を読んだりするのが大好きでした。

保育園は、退屈でよく脱走していました。

自転車にはねられたり、車にはねられたりしたらしいです。

今でも下唇や頭に塗った傷跡がよく見るとあります。

エピソードはたくさんありますが、保育園ではお弁当を食べたら帰れると思い、朝一にカーテンの後ろでこっそりたべ、周りの子供達に“いけないんだー“と言われながら帰宅したり、保育園の屋根の十字架に触りたくて昇り、消防車を呼んだりしたらしいです。

いたずらは数え切れないくらいしています。

ネズミ花火を新聞紙に包んで、火をつけて一斉に破裂させたり、癇癪玉を道路に敷き詰めて歩行者が踏んで驚くのを楽しんだり、段ボール箱でロボットを作って商店街を練り歩いたり。

ろくでもない事ばかりですか、気を引きたかったのかも知れません。

そんな保育園時代でした。

小学校は、地元ではなくバス通学で両国の方の二葉小学校に通いました。

全く協調性がないので、3日連続で親が呼び出され、担任の先生にお尻を叩かれまくりました。

何故なのかは、覚えていませんが、一つだけ心当たりがあるのは、空のランドセルで家に帰って怒られた事です。

先生が教科書をしまいましょうと言わなかったので、机の中に入れっぱなしで帰り、宿題は当然できないので怒られ、立たされました。

そんな感じで小学校生活は、スタートしました。

なんか長くなってきたので、続きはまた次回にします。

興味がなければすいません。

それでは、また。

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